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甲子園は、数々の名勝負・球史に残る試合を生みました。
特に、猛暑の中で開催される夏の甲子園では、”死闘”という名で表現される試合も多く、3年生最後の公式戦だからこそ、最後の1球まであきらめない姿に感動した試合も数え切れません。
そんな高校野球大好きな僕がえらんだ『甲子園ベストゲーム5選』を発表します。
第1位:【横浜9-7PL学園】1998年(夏第80回)準々決勝
無敵艦隊・横浜
その年の春センバツ大会で『平成の怪物』という名にふさわしい活躍で、みごと優勝した松坂大輔選手(西武ライオンズ他)擁する横浜(神奈川)が、春夏連覇を目指した大会でした。
しかも、新チーム結成から公式戦無敗で挑む夏の大会。
その春センバツ大会でも、松坂選手が得点を許したのは、2回戦の報徳学園(兵庫)(6-2)と、PL学園(大阪)だけでした。
その中でも、PL学園は3-2と1点差にまで詰め寄り、「松坂選手を打ち砕くのはPL学園しかない!」と夏に向けて期待させる内容でした。
そしていよいよ夏の大会で、松坂選手擁する東の横綱・横浜と、上重聡投手(日本テレビアナウンサー)擁する西の横綱・PL学園が準々決勝で再戦!
延長17回250球の死闘
試合は、二回にPL学園が一挙3点を得点します。
3年生になった松坂選手が、甲子園で3点失点するのは、春夏を通じても初めてのことでした。
打倒横浜に燃えるPL学園が牙をむきます。
そこからは打ち合いとなり、5-5で延長戦へ。
延長11回、延長16回と横浜がリードを奪うも、都度PLは喰らいついてきます。
こんな松坂選手を見るのは、誰もが初めての光景でした。
当時は延長18回で再試合でしたので、再試合を意識した延長17回、横浜が決勝2ランホームランで三たびリードし、その裏を松坂選手が3人で抑えて横浜が勝利しました。
250球!
松坂選手がひとりで投げ抜いた投球数です。
高校球児の誰もが手がでなかった松坂選手に迫り、延長に入ってからも何度も追いついたPL学園も、さすがに甲子園の名門校でした。
平成の怪物
1998年夏第80回大会は、松坂選手が『平成の怪物』と呼ばれるにふさわしい、伝説の大会となりました。
続く明徳義塾(高知)戦では、先発を回避して6点差をつけられます。
「横浜が負けるのか」
誰もがそう思った試合展開でしたが、横浜が追い上げ、仲間の追撃を信じてブルペンで投球練習をしていた松坂選手が、痛々しいテーピングをはがしとる姿は鳥肌ものでした。
そして、逆転して決勝戦へ。
決勝戦の京都成章(京都)戦で先発した松坂選手は、何と!決勝戦で”ノーヒットノーラン”の快投をみせて優勝!!!
大会終了後も、”アジアAAA野球選手権”の日本代表として優勝&最優秀投手受賞。
最後の公式戦となる”国体”でも優勝へと導き、横浜も「公式戦44戦無敗」の金字塔を築きました。
平成の怪物こと松坂大輔選手が、高校野球史にその名を刻んだ一年間でした。
第2位:【星稜3-4箕島】1979年(夏第61回)3回戦
王者箕島に挑む星稜
その年の春センバツ大会優勝校の箕島(和歌山)に、星稜(石川)が挑んだ試合でした。
当時の箕島は常に甲子園で優勝を争う強豪校で、星稜も甲子園出場回数こそありましたが、まだまだ地方の常連校という認識でした。
そんな星稜が、甲子園で全国にその名を知らしめたのが、この一戦でした。
甲子園球史に語り継がれる延長18回
春夏連覇に期待がかかる箕島。
試合前の下馬評でも、圧倒的に箕島有利でした。
試合は下馬評を覆して、星稜が4回表に1点先制。
すぐさま4回裏に箕島が追いつき、箕島ペースの予感。
そこからは、互いに譲らずに延長戦へ。
膠着状態を破ったのは、星稜。
延長12回に1点リードするも、その裏、箕島にホームランを打たれて同点に。
延長16回、星稜が三たびリード。
その裏ツーアウトから箕島の打者が放った打球は、一塁ファールグラウンドへ。
誰もが星稜の勝利を確信した瞬間、星稜の一塁手が転倒落球し、仕切りなおしに。
そして、再び箕島からホームランが放たれ同点となりました。
そしてついに延長18回。
ここで決着がつかなければ再試合となる箕島の攻撃。
運命の一打が放たれ、箕島が勝利し、延長18回の死闘に決着がつきました。
試合時間は、3時間50分。
その後も続く伝説の一戦
40年前のこの試合が、いまだに『甲子園の球史に残る試合』として語り継がれています。
当時は途中からナイターになるほど長時間の試合で、NHKの放送も総合チャンネルから教育テレビ(現Eテレ)に移りましたが、いまだにこの一戦が最高視聴率だそうです。
この試合がシーソーゲームであったことや、この試合を乗り越えた箕島がみごと春夏連覇を果たしたこともあると思いますが、なんといっても、16回二死から落球した選手への”応援”があると思います。
この試合の後も、長年にわたって箕島と星稜の交流が続いていると聞きます。
そんな中、落球した選手は十年以上(もっとだったかな?)その場に参加できずにいたと、何かのTVで放送していたのを観たことがあります。
せっかく甲子園に出場したのに、そのことがその後の人生のつっかえになってしまったようです。
そんな”仲間”を応援するためにも、当時の箕島・星稜のメンバーが毎年交流を続けていたようですし、高校野球を応援している一般の方も同じ想いだったと思います。
コジラの5打席連続敬遠
星稜(石川)といえば、”ゴジラ”松井秀喜選手(読売ジャイアンツ・ニューヨークヤンキース他)の1992年夏第74回2回戦の対明徳義塾(高知)戦で起こった『5打席連続敬遠』も甲子園球史に残る一戦となりました。
高校野球の勝負至上主義として社会現象にもなり、明徳義塾が悪者扱いされもしましたが、それ以上のことにならなかったのは、当時みせた松井選手の人徳であったように思えます。
星稜の一戦としては延長18回と迷いましたが、試合全体としては、やはり延長18回の死闘が僕の心に残っています。
第3位:【日本文理9-10中京大中京】2009年(夏第91回)決勝戦
9回2死からのドラマ
第3位は、2009年第91回決勝戦の『日本文理(新潟)対中京大中京(愛知)』をあげます。
それまで全国制覇6度を誇る名門・中高大中京に、初の決勝戦進出となった日本文理が挑んだ一戦でした。
猛暑の長丁場を戦う夏の甲子園においては、残念ながら決勝戦がワンサイドゲームで終わってしまうことが多々あります。
この年の決勝戦も、堂林翔太選手(広島東洋カープ)のホームランなどで、8回までは「日本文理4-10中京大中京」というワンサイドの流れでした。
9回表、日本文理最後の攻撃もツーアウト。
ここで終わっては、甲子園ではありません。
ひとりの出塁を機に、次々と打線がつながっていきます。
仲間の大逆転を信じる日本文理の伊藤直樹投手が、ブルペンへと向かいます。
ひとり・・・
また、ひとり・・・
甲子園全体が、こだましていきます。
9回2死から5点をたたきだし、ついにあと1点と迫りました。
しかし、日本文理の追撃はそこまで。
中京大中京の優勝となりました。
観客席に疑問を投じた一戦でもあった
甲子園のベストゲームを語るとき、ほとんどは勝者のゲームであり、敗者のゲームが記憶に残ることは稀です。
そんな中、この試合は”敗者”であっても素晴らしい試合であったと、ファンの記憶に刻まれた一戦でした。
しかし、最後は日本文理の逆転を期待するがあまり、球場全体が日本文理応援一辺倒となった光景がありました。
タオルを振りまわし、サッカー場のウエーブのような光景でした。
双方の応援席はいたしかたありませんが、球場全体の観客は、双方応援する姿勢が高校野球ファンとしてのマナーであると物議を醸しだした一戦でもありました。
第4位:【駒大苫小牧1-1早稲田実業】2006年(夏第88回)決勝戦
マーくんVSハンカチ王子
後にプロに進む、”マーくん”こと田中将大選手(楽天イーグルス・ニューヨークヤンキース)擁する駒大苫小牧(南北海道)と、”ハンカチ王子”こと斎藤祐樹選手(日本ハムファイターズ)擁する早稲田実業(西東京)が、がっぷり四つにわたりあった決勝戦です。
史上二校目の夏三連覇を狙う最強軍団・駒大苫小牧に、斎藤投手が阻んだ一戦でした。
0-0の投手戦で試合は進み、均衡を破ったのは、8回表の駒大苫小牧。
ついに、斎藤投手から1点をもぎとりました。
一方の早稲田実業も、その裏すぐに1点を奪って、再び1-1の投手戦が続きました。
そのまま決着がつかず、37年ぶりの決勝再試合となりました。(この当時の再試合は、延長15回)
斎藤投手は15回をひとりで投げ抜き、田中投手も12回3分の2を投げた投手戦でした。
決勝再試合
決勝再試合は、早稲田実業がリードする試合展開となりました。
8回までは、駒大苫小牧1-4早稲田実業の3点差で迎えた9回表の攻撃。
そこで2点を取って、1点差まで詰め寄った駒大苫小牧。
バッターは、マーくん・田中選手。
最後に斎藤投手が投げたその日最速となる147kmのストレートが空を切り、三振でゲームセット!
早稲田実業が、夏の甲子園で初優勝を成し遂げた瞬間でした。
その日も斎藤投手は9回全てをひとりで投げ抜き、田中投手も7回3分の1を投げる力投でした。
その後の活躍はみなさんご存じの通り、田中将大選手は楽天イーグルスを経て、今ではニューヨークヤンキースの大黒柱として世界的選手に成長しています。
斎藤祐樹選手は、プロ入り後足踏みしてはいますが、今後の活躍に期待しています。
第5位:【金足農業2-13大阪桐蔭】2018年(夏第100回)決勝戦
スター軍団・大阪桐蔭
まだまだ記憶に新しい、昨年の夏第100回からもあげておきます。
根尾昴選手(中日ドラゴンズ)・藤原恭大選手(ロッテオリオンズ)・柿木蓮選手(日本ハムファイターズ)・横川凱選手(読売ジャイアンツ)と、高卒時点で4名も同一チームからプロ野球に指名がかかったスター軍団・大阪桐蔭(北大阪)が、甲子園史上初となる2度目の春夏連覇に挑んだ大会でした。
そのスター軍団に対したのが、この大会ですい星のごとく現れた、金足農業(秋田)の吉田輝星選手(日本ハムファイターズ)でした。
今後のプロ野球を担っていく世代となる予感
決勝戦の試合そのものは、2-13とうい大差で大阪桐蔭が圧倒的な力を発揮して優勝しましたが、昨年のプロ野球ドラフトでは、過去に例がないほど高校卒しかも野手に1位指名が重複しました。
先日のフレッシュオールスターでMVPに輝いた、報徳学園(兵庫)の小園海斗選手(広島東洋カープ)も含めて、この世代が近未来のプロ野球を代表する世代となる予感がします。
今年はどんなドラマが待っているのか!
夏の甲子園は、過酷な気温と、3年生最後の公式戦となります。
それだけに、最後の一球まであきらめないプレーが、数々のドラマを生んできました。
勝者はもちろんのこと、敗者へも惜しみない声援と拍手が送られるのが高校野球・甲子園です。
今年の夏の甲子園においても、選手の人生にとって、素晴らしい大会となることを願っています。